森永製菓の競合や同業界である江崎グリコ、ブルボン、カルビーの4社で平均年収を比較します。 各社の最新有価証券報告書に記載されている額は、江崎グリコが798万円、ブルボンが467万円、カル … 森永は他の2社と比較しても日本企業特有の 調和を重んじる 傾向が強いです。 また近年成果主義に変化した日本企業も数多くある中で、森永は過程を重視する傾向があります。 だから「罪の声」を読んでもどこまでが実話でどこからが創作なのかいまいちわからなかったんですよね。, というわけで今回は小説「罪の声」と「グリコ・森永事件」の共通点・相違点をまとめていきたいと思います!. グリコ・森永事件(グリコ・もりながじけん)とは、1984年(昭和59年)と1985年(昭和60年)に、日本の阪神間(大阪府・兵庫県)を舞台に食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件。, 警察庁広域重要指定114号事件。犯人が「かい人21面相」と名乗ったことから、かい人21面相事件などとも呼ばれる。, 2000年(平成12年)2月13日に愛知青酸入り菓子ばら撒き事件の殺人未遂罪が時効を迎え、すべての事件の公訴時効が成立し、この事件は完全犯罪となり、警察庁広域重要指定事件では初の未解決事件となった。, 1984年3月、江崎グリコ社長を誘拐して身代金を要求した事件を皮切りに、江崎グリコに対して脅迫や放火を起こす。その後、丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家、駿河屋など食品企業を次々と脅迫。現金の引き渡しにおいては次々と指定場所を変えたが、犯人は一度も現金の引き渡し場所に現れなかった。犯人と思しき人物が何度か目撃されたが逃げられてしまったため、結局正体は分からなかった。, その他、1984年5月と9月、1985年2月に小売店で青酸入り菓子を置き、日本全国を不安に陥れた。, 2000年(平成12年)2月13日に東京・愛知青酸入り菓子ばら撒き事件の殺人未遂罪が時効を迎え、すべての事件の公訴時効が成立。警察庁広域重要指定事件としては初めて犯人を検挙出来なかった未解決事件となった。, 2005年(平成17年)3月に除斥期間(民法第724条)が経過し、民法上の損害賠償請求権が消滅した。, 企業への脅迫状とは別に報道機関や週刊誌などに挑戦状を送りつけ、毒入り菓子をばらまいて社会一般を騒ぎに巻き込んだことで、評論家の赤塚行雄から劇場型犯罪と名付けられた[1]。同時期にこの事件と並行して話題となっていた三浦和義のロス疑惑とともに当時の世相として振り返られることも多い[2]。, 1984年3月18日21時ごろ、当時兵庫県西宮市に居住していた江崎グリコ社長江崎勝久の実母宅に拳銃と空気銃を構えた2人の男が勝手口を破って押し入り(家の外には車の運転手役の男がおり、犯行は3人組の男が実行している)、同女を縛り上げて社長宅の合鍵を奪った。2人組はそのまま隣家の社長宅の勝手口から侵入、社長夫人と長女を襲い、2人を後ろ手に縛って脇のトイレに閉じ込めた。その後、2人の男は浴室に侵入。長男、次女と入浴中だった社長を銃で脅し、全裸のまま誘拐した。夫人はこの後、自力でテープをほどいて110番通報。, 翌3月19日1時ごろ、大阪府高槻市の江崎グリコ取締役宅に犯人の男から指定の場所に来るよう電話がある。取締役が指定場所に向かうと、社長の身代金として現金10億円と金塊100kgを要求する脅迫状があった。, この段階から、兵庫県・大阪府にまたがる重大事案として、兵庫県警察本部、大阪府警察本部による合同捜査体制が始まる。その後、犯人の男から電話があり別の指定場所に身代金を持って来るよう要求したが、結局犯人は現れなかった。犯人グループが要求した現金10億円は高さ9.5メートルで重量は130kg、これに加えて金塊100kgでは運搬が困難であり、合同捜査本部ではどこまで犯人グループが本気で要求していたのかいぶかる声もあったが、要求に従ってグリコはそれらを用意した[3]。社長の母や社長夫人が犯人に対して「お金なら出します」と言ったにもかかわらず「金はいらん」と犯人が答えたこと[4]、身代金誘拐が目的なら抵抗される可能性が少ない7歳の社長長女を誘拐するほうがリスクが少ないのにわざわざ成人男性である江崎を誘拐していることなどが身代金目的の誘拐としては不可解な点であり、金目的ではなく怨恨が犯行の原因という説の根拠となった。, その後、誘拐事件は急展開する。事件から3日後の3月21日14時30分ごろ、国鉄職員から110番通報を受けた大阪府茨木警察署によって江崎が保護された。江崎の証言によると、大阪府摂津市の東海道新幹線車両基地近くを流れる安威川沿いにある治水組合の水防倉庫から自力で抜け出したとされ、対岸に見えた大阪貨物ターミナル駅構内へ駆け込み、居合わせた作業員達によって無事に保護された[5]。, 1984年4月2日、江崎宅に差出人不明の脅迫状が届く。内容は4月8日に指定場所へ現金6000万円を持ってくるよう要求。脅迫状には塩酸入りの目薬の容器が同封されていた。4月8日に現金受け渡し指定場所に警察が張りこむも、犯人は現れなかった。, 4月8日には、犯人グループから大阪の毎日新聞とサンケイ新聞へ手紙が届く。マスコミ宛に世間一般への公開を前提とした初めての挑戦状だった。手紙には無署名で封筒の差出人名は江崎の名前を使っていた[6]。, 4月23日、江崎グリコに1億2000万円を要求する脅迫状が届く。現金受け渡し日は4月24日に指定されていたが、レストランから名神高速道路吹田サービスエリア、電話ボックスと現金を受け渡す運転手をたらい回しにし、犯人は現金受け渡しに現れなかった。, 同日にはマスコミ宛の2回目の挑戦状が送られており、これ以後、犯人グループは「かい人21面相」を自称するようになる。このネーミングは江戸川乱歩の小説『少年探偵団』シリーズに登場する怪人二十面相に由来するものとみられる[7]。, 5月31日、江崎グリコに3億円を要求する脅迫状が届く。6月2日に摂津市内のレストランの駐車場に3億円を積んだ車を置くことを指示。6月2日、大阪府警察本部刑事部捜査第一課は特殊事件係を中心に30人体制で犯人を待ち受けた。後部トランクに忍んだ捜査官がスイッチを押すことにより、エンジンをストップできる細工を施された車を駐車場に置き、周辺には特殊事件係が展開した。, 20時45分頃、駐車場に不審な男が現れ、そのまま車に乗りこむ。後部トランクの捜査官は無線機のトラブルにより連絡が取れなくなり、予定の地点よりも早くエンジンをストップさせた。特殊事件係の捜査車両数台に包囲され、男は取り押さえられた。しかし、男は犯人から脅されて、駐車場の車に乗って別の指定場所まで運転するよう指示されただけで事件とは無関係と判明(後述の寝屋川アベック襲撃事件を参照)。特殊事件係の捜査官数人は男が行く予定だった指定場所に捜査車両を急行させると、不審車両1台が走り去ろうとしたため追跡。ところが、国道1号線の交差点で見失ってしまう。, 6月26日、犯人グループからマスコミに挑戦状が届き、「こども なかせたら わしらも こまる 江崎グリコ ゆるしたる」と江崎グリコへの脅迫収束宣言をする。この挑戦状で犯人グループは「ヨーロッパへ行く。来年1月に帰ってくる」と国外逃亡を示唆していたが、後日別の挑戦状で「警察がうるさくていけなかった。もうすぐ一仕事してから行くつもりだ」と述べ、国外逃亡を事実上断念している。, 1984年4月10日20時50分頃、大阪府大阪市西淀川区の江崎グリコ本社で放火が発生。火元は工務部試作室であり、火は棟続きの作業員更衣室にも燃え移り、試作室約150m²は全焼。, 21時20分、本社から約3km離れたグリコ栄養食品でも車庫に止めてあったライトバンが放火される。こちらはすぐに消し止められた。犯人はガソリンの入った容器に布を詰めたものに火をつけていた。, 1984年5月10日に毎日新聞、読売新聞、サンケイ新聞、朝日新聞の4社にかい人21面相から「グリコの せい品に せいさんソーダ いれた」と挑戦状が届いた。, さらに挑戦状には全国にばらまくとの予告があり、挑戦状の終わりには「グリコを たべて はかばへ行こう」とまで書かれていた。その事態を受けて大手スーパーはグリコ製品の撤去を始めた。, 1984年6月2日、グリコ脅迫事件において指定されたレストランの駐車場より約2.8km離れた寝屋川市で、商事会社に勤める男性と同僚で恋人の女性が車でデートしていた。しかし、20時15分ごろ、停車中に男3人組に襲われる。男性は元自衛官で腕力には自信があったが、さすがに3対1では敵わなかった。男3人組は男性が無抵抗になるまで殴打を続け、その後車に乗せて黒い布袋をかぶせた。, 1人は別の車に女性を連れ去り、残る2人組が男性の車に乗りこみ、男性はグリコ脅迫事件において指定されたレストランの近くまで運転しないと女性の命を保証しないと脅迫され、犯人の言われるままに行動。レストランの近くまで運転すると降ろされ、駐車場にある車に乗って別の指定場所まで運転するよう指示された。, その後この男性は、大阪府警察本部捜査第一課に犯人と誤認され身柄を確保されたが、事情聴取中に事件とは無関係なことが判明したため、誤認逮捕されることなく、すぐに放免された。, 一方、女性は別の車に乗せられ、21時半ごろに降ろされた。女性は犯人からタクシー代として2000円を渡されている。, 1984年6月22日、大阪府高槻市の丸大食品に脅迫状が届く。内容は「グリコと同じ目にあいたくなかったら、5千万円用意しろ」というものだった。, 犯人はこの裏取引に応じる合図としてパート従業員募集の新聞広告の掲載を求め、高槻市の常務宅に現金をボストンバッグに用意して待機するよう要求。大阪府警察本部に通報した丸大は要求を呑むことにした。, 1984年6月28日20時3分、犯人からの電話があった。女性による録音で指定場所に来るよう指示。, 大阪府警察本部特殊事件係の刑事7人が丸大社員になりすまして指定場所に行くと、国鉄高槻駅で指定する時間の京都駅行き電車に乗って左側の窓に白い旗[8]が見え次第車窓から金を詰めたボストンバッグを投げ落とせと指示するタイプ文字の指示書があった。, 刑事の1人は不審な男を発見。キツネ目の不審男は丸大社員役の刑事を見張っていた。さらに刑事達が乗った帰りの電車に、キツネ目の男が乗り込む。刑事達はキツネ目の男を警戒する。, しかし、現金受渡し時に現行犯逮捕して犯人グループを一網打尽にする方針を採っていた捜査本部は、刑事に逮捕権限を与えず、命令があるまで接触しないよう行動を制限していたため、それ以上のことはできなかった。, 結局、キツネ目の男は駅を下りると改札口を出た後の雑踏に紛れ、刑事はキツネ目の男の姿を見失った。, 7月にも丸大食品取締役宅に現金を要求する脅迫状が届く。7月6日20時7分、子供の声の録音で指定場所に来るよう指示。場所の変更は4回にも及び、最後の指定場所に現金を詰めたバッグを置くよう指示があったが、結局犯人は現れなかった。, 森永製菓脅迫事件が発覚した後の11月になって犯人がマスコミへの手紙に高槻市の食品会社を脅迫したとし「わるでもええ かい人21面相のようになってくれたら」と丸大食品のキャッチコピー「わんぱくでもいい たくましく育ってほしい」をもじった言葉を使ったことで、犯人が丸大食品へ脅迫したことが暴露されたため、丸大食品への脅迫が世間に知られるようになった。, 1984年9月12日朝、大阪府大阪市の森永製菓関西販売本部に数千万円を要求する脅迫状が届く。脅迫状には「グリコと同じめにあいたくなければ、1億円出せ」「要求に応じなければ、製品に青酸ソーダを入れて 店頭に置く」と書かれており、青酸入りの菓子が同封されていた。脅迫状には、グリコが犯人グループに6億円を支払ったと書かれていたが、真偽のほどは定かではない。, 9月18日に犯人から関西支社に電話があり、子供の声で現金の受渡し場所を指定した内容の録音を、5回繰り返し再生した。その後、指定場所に行くと別の指定場所で現金を置くよう指示があり、現金を置くも、犯人は姿を現さなかった。この電話は10月11日に一般に公開された。, 1984年10月7日から10月13日にかけて、大阪府、兵庫県、京都府、愛知県のスーパーやコンビニから不審な森永製品が相次いで発見された。江崎勝久が当時居住していた自宅のすぐそばにあるコンビニもターゲットにされた[9]。, 「どくいり きけん たべたら しぬで かい人21面相」と書かれた紙を貼った森永製品が置かれており、菓子の中に青酸ソーダが混入されていた。青酸入り菓子は13個発見された。, この間の10月8日には阪急百貨店などにも森永製品を置かないよう要求する脅迫状が届いた。この脅迫状の中では「わしらに さからいおったから 森永つぶしたる」とまで宣言している。, 10月15日にはNHK大阪放送局に青酸ソーダの錠剤が送りつけられた。新聞各社への挑戦状にはこの青酸ソーダで何人殺せるかというクイズを出し、「賞品」は青酸入り森永製品、「宛先」は「刑死ちょう そうむ部きかく課長」(原文ママ)と記されていた。, 1984年11月7日、ハウス食品工業(現:ハウス食品グループ本社)総務部長宅に脅迫状が届く。浦上郁夫社長の宛ての脅迫状は現金1億円を要求する内容で、受け渡し日は11月14日、場所は京都市伏見区のレストランと指定しており、別の脅迫状には青酸ソーダ混入のハウスシチューと江崎グリコの江崎勝久社長を拉致監禁したときに社長の声を吹き込んだ録音テープが同封されていた。, 11月14日、指定されたレストランの駐車場には1億円を積んだ車を待機させ、車内にはハウス社員に変装した大阪府警察本部特殊事件係の刑事が、周囲には京都府警察本部刑事部の刑事が多数配置された。, 20時20分、脅迫状の予告通り犯人から総務部長宅に電話連絡がかかる。女の子の声の録音で受け渡し場所を指定。これを機に合同捜査本部は大阪・京都に刑事を多数配置した。指定場所へ行くと別の場所を指定するメモが残されており、場所の変更は4回繰り返された。この間、名神高速道路京都南インターチェンジ付近で、警戒中の京都府警察本部の刑事がキツネ目の男を発見し、合同捜査本部に報告する[10]。この日、キツネ目の男は3回にわたって刑事に目撃される。幾度かの場所の変更指示によって、現金を乗せた車が大津サービスエリアに向かった。, 滋賀県警察本部には合同捜査本部から現金授受への捜査共助を要請されていたが、「名神高速道路エリア内は大阪府警察本部員を配置するので、名神高速道路に入らないように」と言われていた。しかし、滋賀県警察本部は突発事案に対応すべく刑事部捜査第一課の刑事2人を大津サービスエリアに配置する。そして大津サービスエリアに配置された刑事はキツネ目の男を発見する。キツネ目の男は尾行点検をしたり、ベンチに何かを張り付けるなどの特異動向があったものの、職務質問などは禁じられていたため、刑事はそのまま撤収したという[11]。, 滋賀県警の刑事が撤収した後、大津サービスエリアに到着した大阪府警の刑事は現金輸送車の様子を伺う不審者を目撃する。不審者の人相は、丸大脅迫事件に目撃されたキツネ目の男と一致。しかし刑事は尾行や職務質問する権限を与えられていなかったため、キツネ目の男はそのまま一般道路の方へ去って行った。, 現金輸送車は指示通り草津パーキングエリアへ向かった。そこで、「名古屋方面に向かい、白い布が見えたら、白い布の下の缶に入れた指示書を見ろ」という指示を受ける。現金輸送車が到着するよりも先に、白い布が草津パーキングエリアから東へ5kmの地点の道路脇の防護フェンスに取り付けられているのが発見された。道路管理局の巡回記録によると、14日20時50分から21時18分の間に取りつけられたものと判明。しかも白い布が付けられた防護フェンス付近には無線通信が不能な場所があったため、合同捜査本部にとっては最悪の展開となる。その場所は、県道川辺御園線が交差していた。合同捜査本部はこの県道と名神の交差部分を封鎖したが、問題の空き缶がなかった。犯人らしい男も姿を見せず、22時20分に捜査は打ち切られた。, 一方、白い布があった場所の下を通る県道川辺御園線付近で、パトカーがパトロールをしており、一連の事件捜査を知らない滋賀県警の所轄署外勤課員が、夜なのに無灯火の不審な白いライトバンを発見。外勤課員が職務質問するために白のライトバンに駆け寄り懐中電灯を照らすと、運転席に男がいた。しかし、白のライトバンは急に発進。白のライトバンはパトカーと激しいカーチェイスを繰り広げパトカーを振り切った。21時25分、白いライトバンが発見されたが、男の姿はなかった。白いライトバンは11月12日に盗難された車と判明した。パトカーが不審車の前方をふさぐように停車せずに、横付けしたことを失策と指摘する論調もあった[12]。取り逃がした外勤課員は責任を取って後に辞職した[13]。, 11月19日、ハウス食品工業課長に脅迫状が届く。11月14日の現金輸送車監視状況が書かれていた。今は森永を相手にしており、暇になったら連絡するとも書かれており、事実上の脅迫休止宣言とも受け取れた。, 12月11日、パトカーの乗員3人の証言を元に作成された不審車両の運転手の似顔絵が公開された[14]。, 1984年12月7日、不二家の労務部長宅に脅迫状が届く。脅迫状にはテープと青酸ソーダが同封されていた。, 12月15日、不二家の労務部長宅に脅迫状が届く。12月23日に大阪梅田の百貨店屋上から2000万円ばらまくことを要求。不二家は従わなかった。, 12月26日、東京のスーパー社長宅に脅迫状が届く。1月5日に不二家が、池袋のビル屋上から2000万円ばらまくことを要求。不二家は従わなかった。, 1985年1月11日に不二家脅迫事件が初めて報道され、かい人21面相が不二家を脅迫していたことが明らかとなった。, なお、事件発生直前の12月4日にアマチュア無線の7MHz帯オフバンド(指定範囲外の周波数)にて「21面相、こちら玉三郎」「クスリは用意できたか」「ひと、ふた、ひと、ろく(12月16日と推定される)、航空券が往復確実に取れてR6(アマチュア無線での沖縄郵政管理事務所(現:沖縄総合通信事務所)の地域番号と推定される)へ行く場合は日帰りで必ずアシがつかないように戻ってくるように」「不二家はやっぱり金払わんちゅうとんのけ」「不二家あきらめたほうがええわなこりゃ」などいう「21面相」と「玉三郎」を名乗る2人の通信が北海道岩内郡のアマチュア無線家によって偶然にも傍受録音されていた(北海道テープ)。捜査本部は犯人グループの可能性が高いと判断して、捜査が行われ[15]、一部はマスコミ向けに公開された。, バレンタインデー直前の1985年2月13日に報道機関にバレンタインデー粉砕を主張する挑戦状が届く。これと前後して東京都と愛知県で「どくいり きけん」と書かれたラベルが貼られた青酸入りチョコレートが相次いで発見される。青酸の入ってないものには「どくなし あんしん」と書かれていた。この事件では、脅迫の対象となったことのあるグリコ、森永、不二家のものに加えて、明治製菓とロッテのチョコレートもばらまかれていた[16]。, その直後の3月6日、和歌山県の老舗和菓子会社の駿河屋に5000万円を要求する脅迫状が届く[17]。, しかし、3月8日に犯人から現金受け渡しを延期する旨の通告が届く。その後、犯人から駿河屋への連絡はなかった。, 1985年8月7日、ハウス食品事件で不審車両を取り逃がした滋賀県警本部長が自身の退職の日に本部長公舎の庭で焼身自殺をする。遺書は残されていないが、一般に失態を苦にしたものと解釈されている[18]。ハウス食品事件の失態の責任を全て負わされたことに抗議するための自殺だったとする説もある[要出典]。本部長はノンキャリアからの叩き上げであった。, 8月12日、犯人側から「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」との終息宣言が送りつけられた。理由は、その5日前に自殺した滋賀県警本部長への香典代わりというものだった。, 脅迫状の届いた会社の一つであったハウス食品工業社長の浦上郁夫は、この事件の終息を同社の創業者で先代社長である自身の父親の靖介の墓前に報告するために8月12日に日本航空123便に搭乗し、その墜落事故で犠牲となった。, 1994年(平成6年)に江崎グリコ社長誘拐事件が公訴時効になり、捜査本部の体制は大幅に縮小される[19]。, さらに2000年2月13日0時に東京・愛知で青酸入りの菓子をばらまいた2件の殺人未遂事件とこれにかかわる28件すべてに公訴時効が成立した。, 事件の捜査に関わった捜査員の延べ人数は130万1千人、捜査対象は12万5千人と言われる[20]。, 事件発生の6年前の1978年(昭和53年)8月17日、グリコに金を要求するテープがグリコ常務に送られた事件である。1時間弱のテープの内容は部落解放同盟幹部を名乗る初老の男性の声で、送り主の男は過激派の学生が江崎の誘拐、グリコへの放火、青酸入り菓子のばらまきなどの犯行と引き換えに、グリコに対して3億円を要求する計画を立てているとし、これらの犯行を抑えられないまでも3億円の要求額を1億7500万円に減額できるとして金を要求し、応じるなら指定した手法の新聞広告を出すこととなっていた(グリコは応じなかった)。江崎の誘拐、グリコへの放火、青酸入り菓子のばらまき、連絡に新聞広告を使うなど、後のグリコへの犯行を予告するような内容であった[21]。, このテープが届く2年前から、江崎グリコ常務宅に黄巾族と名乗る人物が手紙や電話で脅迫を続けていたという[22]。, グリコ・森永事件の捜査本部はこの送り主の男をグリコ・森永事件の犯人グループの一味と断定して、犯人グループの一員と目された人物の声紋鑑定の材料にした。同時にこのテープの存在が犯人グループの過激派説の一因ともなった[23][24]。, 1993年(平成5年)末に兵庫県警が53年テープを1分ほどに編集して公開した[25]。, 1973年(昭和48年)に大阪で起きた大阪ニセ夜間金庫事件もグリコ・森永事件と関係があるのではないかと取り沙汰された。1984年9月18日に森永に1億円を要求した際、マンホールの上に置いた衣装箱の底から1億円を奪取するというトリックじみた手口がニセ夜間金庫事件と類似しているというものであった[26][27]。, 最初は単なる誘拐事件と思われていたが、大手食品会社が次々と脅迫され、実際にシアン化ナトリウム入りの食品がばら撒かれるなど、当時の社会に与えた影響は計り知れないものがあった。, 企業への脅迫状とは別に、挑戦状を新聞社や週刊誌に送りつけ、その内容は「けいさつの あほども え」など、警察を挑発したりあざ笑うような内容が多い。自分達の遺留品の細かい出所まで書いたり、失態の責任を取って焼身自殺した滋賀県警本部長(ノンキャリアながら本部長まで出世した人物であった)を「男らしゅうに」と表現し、それと対比させてキャリア出身の責任者を貶めたりするなどしていた。, 犯行の際の遺留品の多さにもかかわらず、遺留品が大量かつ広範に流通された商品であったため、犯人の特定には至らなかった。犯人グループの車両から採取されたELと呼ばれる特殊な電子部品の削りかすの廃棄物から捜査が行われたが、犯人に結びつく成果は得られなかった。なお、犯人も終息宣言の後は一切活動をしていない。警察発表では、犯人は何も得てはいないということになっているため、一連の犯行の目的が何であったかは不明のままである。前述の通り、犯人側は1984年9月12日に森永製菓に送りつけた脅迫状の中で、グリコは6億円を支払ったとほのめかしているが、グリコをはじめとする被害にあったメーカーは犯人側への金の支払いを否定している。一説には、脅迫を受けた企業の株価が乱高下しており、それにより利益を得た、あるいは株価の操作そのものが目的だったとする説もある。, 脅迫事件において検挙の手がかりとなることの多い犯人と被害者との接触では、要求を伝える電話に子供の声を使用したり、現金の授受にあたって無関係な市民を拘禁・脅迫の上に受け取り役に仕立てるといった、従来の常識からは想定外の手口を使い、これも捜査を困難なものにした。企業から犯人への連絡手段に対しては、犯人が企業に対して要求に応ずる合図として指定された方法での新聞広告を出すことを要求していたことが明らかになっている。, 犯行の際に、犯人グループにより警察無線が傍受されていた。当時の警察無線は、周波数さえ合わせれば一般人でも容易に傍受が可能なFM(アナログ)方式が主流であり、受信機器も簡単に入手できた[28]。この事件を契機に、すでに警視庁で一部導入が始まっていた傍受されても会話の内容が分からないよう暗号化されたデジタル方式への早期の全面移行を進めるきっかけにもなった。, グリコ・森永事件の捜査においては、警察は傍受を警戒して、当時、警視庁に数台しかなかったデジタル方式の警察無線で連絡を取っていた。, 警察が殺人未遂事件として捜査したシアン化ナトリウム入り食品に関しても、『シアン化ナトリウムが入っていた食品には必ず「どくいり きけん たべたら しぬで」の紙が張られていたのでその罪状が当てはまらないのではないか?』とする意見がある。この点の不備を補うべく、グリコ法こと流通食品への毒物の混入等の防止等に関する特別措置法が制定された。, 犯人は1年半の間に、警察には挑戦状、企業と報道機関に脅迫状と挑戦状計144通を出している。, 結果として毒入り食品による死者は発生せず[29]、誘拐放火などにより命を落とした人もいなかった。

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